右手首を粉砕骨折…治癒を信じる!
数年まえポテ子は高いところから誤って落下しました。
地面に落ちる瞬間右手を伸ばして手をついたため手首を粉砕骨折してしまいました…。
激しい痛みに襲われしばらくはその場にうずくまって悶絶していました…。
よろよろと起き上がり激痛のはしる腕を見ると…あらぬ方向に曲がっているのが自分でも分かりました…。
〔壊れた〕という感じに見えました…。
翌日朝いちで病院に連れて行ってもらいました。
レントゲン写真には手首の砕けた骨が写っていました。
一番気になっていたことを先生に聞きました。
「治るでしょうか…?」
「もとには無理ですね」
「………」
もしや‥とは思っていましたがはっきり云われてショックでした…。
そうか…無理か…そうだと思った…。
でも…左手がある…わたしは左手が器用だから左手を鍛えればいい…。
左手を鍛えれば日常生活はたいがいできる…。
世の中にはもっと大変な人だっているんだから…大丈夫…なんとかなる…。
そんな思いが渦巻いていました…。
そのまま直ぐに手術して頂けることになりました。
手術後は痛みが強く痛み止めの薬を飲んでも効果がなく座薬を入れて頂きました。
右手は手首から肘上までのギプスで固定されていました。
手首にはボルトが入っているので数か月後に同じところを切って取り出すのだ説明してもらいました。
入院期間は3日間だったので帰宅前の診察のときに
「次回診察にくるまでは安静にしておいてください」と云われました…。
自宅にもどったポテ子は直ぐさま右手の包帯を解き始めました。
自分の目でどうなっているのか一度確認したかったのです…。
包帯をとり…ギプスを外し…ガーゼをとって見てみると…
腕はギプスを外しても元通りまっすぐに伸びており…手首には縦に手術の痕‥数か所が糸で止まっていました…。
元に戻ったように見えました…。
翌日からポテ子はギプスから出ている指を左手で刺激(マッサージ)したり、ギプスをしたまま細い草(ほんとにごくごく細い草です)を引き抜いたりすることを始めました…。
少しやると痛みが出てくるので痛みが出てきたらすぐにやめます…。痛みが引いたらそろそろと同じことを繰り返します…痛みが強いときは痛み止めを飲みます…。
昼間そんなことを繰り返していたので夜になると熱をもつのか強い痛みがでました。
…再度痛み止めを飲んでも呻くほどでよく眠れない日も三日ほどありました。
何故そんなことをしていたのかと云うと…
ポテ子のなかの何かが「やりなさい」と云うのです…。
何か分かりませんが「やらなくては…」と云う強い衝動…のような感じです…。
非難され呆れられることも想像がついたので誰にも見られないように隠れてこっそり続けていました…。
最初はやっとの思いで草を引き抜いていたのですが次第に痛みが落ち着いてくると、引き抜ける量もみるみる増えていきました…。何本でも…痛くてできなくなるまでは引き抜きました‥。痛みが出てきたら横になり虫の息でうめき…おさまるのを待ち…おさまったらまた草を引き抜く…を繰り返しました…。
帰宅後一週間くらいで痛み止めを飲まなくても大丈夫なくらいにまでなり、ギプスはしていても大分骨がくっついてきているのを何となく感じていました…。
帰宅後10日位のことだったと思います。
何となくギプスを外して腕の動きを自分で確認したくなりました。
ギプスを外して腕を動かそうとしました…。
すると…
肘上の筋肉と肩のあたりの筋肉が既に固まってきているではありませんか…。
衝撃でした…。
このままでは…手首の骨がついても肘や肩が動かなくなってしまう…。
その日から一日のうちに必ず何度かギプスを外し肘や肩の筋肉を動かすことをはじめました。お陰で固まりかけた筋肉は元通り柔らかくなりこれまでのようにスムーズに動けるようになっていきました…。
そしてギプスをした状態のポテ子流リハビリも進化していきました…。
・グー、チョキ、パーをする。
・ギプス腕を上に持ち上げ数秒間キープする。
・小さな金づちをギプス右手で持って木の固まりをそーっとコツコツ叩く(振動を与えたかったのです)。
・ギプス右手でハンドグリップ2キロを100回やる(日に数回)。
・左手とギプス腕で剪定バサミを持ち植木の剪定をする。
・ギプスをしたままで文字を書く練習をする。A4用紙2~3枚
日数が経って自分で(大丈夫だ…)と思ってからはギプスを外して腕を上下にあげる、
腕を伸ばして肩と垂直にもちあげる(数秒間キープする)、などの運動も積極的にしました。
あくまでも自分の身体と対話しながら…です。
やった回数や時間は、どれも多く長めにしっかり…という感じです。
ポテ子の右手はみるみる良くなっていきました…。
抜糸が済みやっとリハビリ通院の段階になりましたがリハビリは既に必要ない状態でした…。
リハビリでは容器に入っている沢山のビー玉を箸で挟んで別の容器に移し替える…とか何かを色々やったのですが忘れてしまいました…。
何をやっても楽々できてリハビリの先生が毎回驚いておられました…。
ポテ子も思わぬ回復ぶりに自分でもとても喜んでいました。
リハビリは数回で終了し病院へ行くことは終わりました。
するとある日病院から電話がきました。
手術をして下さった先生の何か発表のためにポテ子の回復の記録を出したいので協力してもらえないか…?みたいなお話でした…。
できれば協力させて戴きたかったのですが、ある講座に申し込みをしてしまいもう予定が入っていたためそれは叶いませんでした…。
ポテ子が独自に(勝手に)やっていたことは全てお話しさせていただきました。
電話がきたことで改めて思いました。
ポテ子の回復ぶりは珍しかったんだと思われます…。
先生は手術するまえ「元にはもどらない」って云っていました…。
戻らないのがフツウだったってことですよね…。
ポテ子の右手は殆ど以前と変わらないくらいにまで治癒しました…。
感謝の気持ちでいっぱいです…。
左手が右手の代わりをする生活を送るかもしれなかったのに…
これまで当たり前に送っていたフツウの生活は…じつは当たり前じゃなかったんです…普通の生活が送れるということがどれほど尊く素晴らしいことなのかを知らされた思いでした…。
なぜ治癒できたのでしょう…
一番には先生が手術してくださったから…です…まちがいありません(ありがとうございます)
あともう一つは何者かがポテ子を導いてくださったから…と思っています…。
ポテ子は左手生活を覚悟していました…。
けれど手術をおえて自宅にもどってからはそんな思いはみじんもありませんでした…常に何かがポテ子に寄り添ってくれていたと思うんです。
(何となく…思う…)【感】…というもので常に導いて下さっていたのはそのお方だとポテ子は確信しています…。
多分…ハイヤーセルフではないだろうか…とポテ子は思っています…。
お陰でポテ子の右手は治癒したのだと思っています…。
それともう一つ大事なことがあります。
ポテ子は自宅で独自のリハビリを始めてからずっと純粋に治癒を信じていました…。
何故だかは分かりませんが治癒する!と信じていたのです…。
いつも…
心から…
そして常にイメージしていました…。
細い草を引き抜きながら…右手の骨がピシピシピシピシッ…ピシピシピシピシッ…とくっついていくイメージ…を…。
文字を書いているときも、金づちを握って木の固まりをそっと叩き振動が手術した骨に伝わってきているときも…常に右手の骨がピシピシピシピシッ、ピシピシピシピシッ…とミクロでくっついてきている…とイメージしていました…。
そのイメージは強烈で頭というか脳の中を蛍光色のカラーでいっぱいにイメージしていました…。(青緑パステルの蛍光色だったと思います)
アメーバーのような青緑パステルの物体が電気ショックを受けたみたいに火花をあげてくっついていくイメージです…。
病院の先生には独自にやったリハビリ法をお話ししましたが、あとになって考えてみるとこの「治癒を信じたこと」と「イメージしていたこと」と云うのもとても大事なことだったのじゃないか…と思いました…。
このことはポテ子にも生涯忘れられない出来事です…。
「信じる」ということの偉大な力を教えられた…って思ったんです…。
ご購読戴きましてありがとうございます。<(_ _)>
今日も生かさして戴いてありがとうございます。
宇宙に存在するすべてのものに感謝いたします。
ではまた次回お会いいたしましょう